ajaka's blog

散文、音楽、映画、ときどき登山。日常のあれこれ。

WILCOライブ@なんばhatch

おひさしぶりです。
先週金曜、ウィルコのライブに行ってきました!


Wilco@NambaHatch

ウィルコというバンドを知ったのは数年前、少なくとも10年以内の間で、古参のファンとは言えないのですが、
ライブ、めちゃくちゃよかったです!!!



丁度その週は仕事でも突発で急ぎの案件が出たりして、
久々の残業もして、正直、
「ライブ行かれへんかもなあ…」
と若干あきらめ気味でしたが、
いや、行けてよかったです。





何が良かったかって、、
バンドの生演奏、を私は今回ちゃんと聞いた気がして、

聞いて初めて、これはサブスクをイヤホンで聞いてるだけでは気づけなかったなあって。



しかもウィルコはバンドなんです、古き良きバンド、
アメリカのフォークロック、カントリーロック、
私が聞きだしたのは中でもオルタナティブロックの色が強い時のアルバムでしたけど、
何にせよ、バンドの演奏が良いんです。


バンドとは、と語れるような音楽通でもないので
良さをうまく表現できてないかもです、すみません^^;





例えば、ドラムの音
写真の角度で、2階席からライブを観てたんですが、
ヴォーカルのジェフの真後ろにドラムがどっしりと腰を据えていますよね。

ドラムは打楽器だから、ドラマーの体の動き手の動きが見えて、
それが耳に届く音といっしょになって、
立体的に(?)ドラムの演奏を聴ける、というか。


ウィルコの音楽はほぼ毎日通勤電車で、サブスクでイヤホンで聞いていました。
たまにユーチューブでライブの動画もみてました。
これは私の聴き方もあるだろうけど、それだとギターやキーボード、ボーカルに注目してしまいがちで、
ドラムが演奏の最前面に来ることってあんまりないんです。


でもライブだと、ヴォーカルのジェフの方を向くと、その後ろで激しく動くドラマーの姿に惹かれないわけがない。
圧倒的な存在感でした。

でウィルコの曲をよく聞いてみると、ドラマーの人もいろんな音を出してるんですよね、ボー――ンて低く響く鐘みたいな音の時もあるし。

多彩。








実は最近一人暮らしはじめまして、
また別の記事で書いていこうと思うのですが、
ひとりの部屋で夜にウィルコの曲を流してます。

やっぱりいい。
これじゃサブスクもやめられない。笑

この記事書きながら、ライブのセトリ通りのプレイリストかけてました、
どなたかがサブスクに公開してくれたやつ。
ありがたいですねえ。








ではでは、今日はこの辺で。

打ち明け話と反動

こんばんは

昨日、金曜日の夜、恋人の家へお邪魔しました

彼の作った美味しいご飯を一緒に食べ
そのあとそのままソファでテレビをみてくつろぐ
付き合い始めてから馴染んできた過ごし方です


そのとき私が彼に話したことと、その後の心境を書きます






彼は同じ会社で働く同僚で
恋人といえど、会社以外でも会社の話は時折します


昨日おしゃべりのなかで
彼の職場のことが話題にあがって
いったんクロージングしたあと
今度は私が、自分の上司について
少し愚痴っぽく話を切り出した


上司について心中で思うことを
あれこれぽつりぽつり
きつい言い方はしていないけど愚痴は愚痴
彼からは
「そういえばいいのに」
少し話をさえぎるように言われてしまいます





でもね、違うんですよ
前もって説明しない私があかんのですけど

このとき私がしたかったのは、
恋人に過去の悩みを打ち明けること
過去悩んでいたことを今聞いてもらうこと
でした

「上司との関係でいろいろ思うことがある
 いまこんな風に思うようになるまでには
 過去数か月こういうことがあったんだ」



まあメタな説明なく、他人の愚痴をいきなり話すんだから
俺に言わず本人に言えよって
第一声で言われてしまうのも仕方がない


『直接言わずに勝手に期待して、相手がしてくれないから俺に愚痴っている』
全部話し終わった後はわからないけど
話し初めに口を挟んだとき、
彼はきっとそう思っていただろう



繰り返しになるけど、ちょっと違うんです
そもそも、以前から
彼にこの話をきいてほしいと思っていて
そして昨日話した

たしかに、悩む理由は上司に言えないことがあるから
それは上司が話をきいてくれる素振りを見せないから


上司を責めたくなる気持ちも、前にはあった
でも責めや怒りをそのまま出したくはなかった

むかむかしている最中は
そのまんまの感情を、彼にこぼすまいと踏ん張った
上司は彼の上司でもあるわけだし
私は彼が仕事を楽しんでいるところが好きで
彼の楽しい空気を壊したくなかった


しばらく月日が経って
その間にやったことのない新しい仕事をはじめたり
上司から単発の仕事をひとつまかせてもらったり
恋人や友達と休日に出かけたり
なんやかんや気持ちも季節も移ろってきて
怒りもおさまり頭の整理がついた

いまなら彼に話せる
そう思いました





彼がどう受け取ったのかはさておき、

2人でいるときに過去の心を言葉にできて
私は望みを叶えられた







なんで恋人に聞いて欲しかったのかって?


癒して欲しかった?
いいえ、ただ癒してほしいなら
長い打ち明け話なんてせずにハグしてもらう


一瞬話は逸れますけど
Shut up! Kiss me, hold me tight ♪
という歌詞がありますね
Angel Olsen / Shut up kiss meという曲




結局なぜ?

恋人に自分のことを
知っておいてほしいからです

べつに全部じゃなくても
楽しいだけじゃなく時には辛かった時間を
孤独を感じた時間を
遅くなってもいいから
完全な過去になってしまう前に
聞いておいてほしかった


辛い時間もときには共有したい

だってあとになって
あの時間をこの人は知らないんだなあって
横でひとり孤独に感じたくない

どうしようもないときもあるけど
誰かに知ってもらいたい
できるなら好きな人に知っていてもらいたい
そのために行動に起こすのは
普通のことだと思う






…打ち明けられた相手がどう感じるかはまた別だけれど




望みが叶った
一方で反動もありました


この長い長い、宛先のない言い訳が
反動の証拠です





ではまた。

厄祓い

こんにちは。

厄払いに行ってきました。




数えで32歳の女子、今年は前厄なんです。

とはいえこれまでの人生で厄年なんて、
気にしたことがなかったのに


ここ半年思うところがいろいろあり、
また恋人にも健康面で何かしらあり


まる一日フリーの土曜に思い立って行ってきました。




御祈祷って、
そこそこお金はかかるけど

事前予約とか特になく
フラッとお願いできる神社お寺多いんですね。



上述の通り初めてだったので、


事前手続きとか面倒そうだなあとか
ろくに調べもせず足踏みしていた
祈祷初心者のわたし、
若干拍子抜けでした。


特定の信仰とか、
毎年お参りする神社とか、


わたしの家には特にそういうのがなく、
初詣もおみくじも完全に気分。


あと、個人的にはお守りや占いや、神に祈ることを
あまり重視した経験がなく、


「神様って生きてる人間がつくるもんじゃん」
「その神様に胸を預けて何かをお願いする(?)って
どういう心境なんだろうか?」

お願いすること自体を否定しないし、
お願いしたらいいかもしれないけど


高校、大学受験の時以外はほとんど
自分で思い立ってお参りにいくことは
してこなかったんですね。


あ、神社とかお寺の雰囲気は好きで、
抹香のにおいも好きだし

たまにふらっと、
京都の三十三間堂南禅寺にいく
なんてことはしていましたが


神様に何かをお願いしに行く、
そのつもりで行ったことはなかった


そんな私なので、
御祈祷してもらった感想もすぐ出てこない…。


大事な事実は二つ


学問の神様をまつる大阪天満宮
厄払いをしてもらったこと


祈祷をまつ1時間弱と祈祷のあいだに
心には二つ思いがうかんだこと



一つは、家族や友達、仕事の人たちが健やかでいてほしい

彼らにわたしが意識的に与えているだろう
ストレス・害悪も厄災に含めてしまって、
まとめてお祓いしてもらえないだろうかという思い


もう一つは、
内面から沸き立つ怒りを周囲にまき散らし
厄災化するかもしれない自分自身が
自分の力でそうならないようにするには、

この御祈祷の前後でなにかが変わる
なんてことはないと思うから、

結局、自分が自分をどうにか変える
自分で何かしらコントロールする
これしかないのだ これしかない

自分の手綱を自分の手から放していいことはないだろう
と納得するような、心を決めるような思い







厄は自分自身というより、
自分の周りのひとにいくものだそうで


だから神頼みだろうと出来ることはしたかった。









やさしい人間になりたい

一方で、いつも真実に誠実でいたい




学問の神様、この二つは両立できるものでしょうか。








ではまた。

おそろしい話

こんにちは
今日は、おそろしい、と自分が感じたことについて



連休さいごの日
明日から仕事
じつはここ数か月、私は仕事がいやだった


仕事が嫌っていうのには
たぶんいろんなパターンがあるはずで


私のばあいは
日々の業務で達成感を得られなくて
嫌というかつらい、というもの


私未だ1つめの会社で入社2年たってない平なんです
業務の中身に意見して実際に変えるのはなかなかむずい
だからストレスが溜まっていました


同じ数か月いいこともありました
初めての恋人ができた
同い年の後輩で、恥ずかしがりでかわいい人


相手は違うけど私にとっては全てはじめて
lineのやりとりとか相手の家に会いに行くとか
会社員生活のなかに無理なく混ぜ込めない、最初からは
大好きな恋人にもっと好いてほしいからだけど
エネルギーを使っていたかも




そんなこんなで、年明けからこのGWまで
それまで以上にあわただしかった
時間がない!と感じたり、充実したい!と感じたり
人間そういうときには、バカになるんですかね(?)
ミーハーの私はいろんなものに手を出してしまいました



ビーズアクセサリー
ヨガ・筋トレ
冬登山
ウッドカービング
ロードバイク(買ったのはずっと前)
洋楽レコード集め
積読
スクー
英会話


何かをはじめるって大概お金も時間も消費するのに
同時にいくつもやっちゃうとコスパ最悪です




もともと長く続けた趣味がなくて
本読むとか映画みるとかはやってたんですけど
長く続けるもの
仕事でも活きる教養的なもの
何かクリエイティブなもの
色々目移りしてしまった結果がいま


お金と時間の無駄遣いになってしまうなあ
久しぶりに自分の部屋でゆっくりしていて
手を付けた沢山のものごとを思い出し
ひとりおそろしくなりました


まだこれからやればいいし
投資だからって諦めなければいいだけだけど


英会話は
レッスン費用を会社と折半で
いくつのレッスンをいつまでに受けてくださいって
期間がきまっているんですね


GW前の2か月は恋や日々のストレス消化やで
まったく手を付けられていませんでした
あと3か月でとりあえずレッスンを受けきらないと
自分から言い出したことを守れなくなる




てことで今週から
英会話レッスンも再開しようと決めた
ずるずる行ってしまうまえに


改めておそろしい
自分の愚かさというか
一度手を付けたことを続けられないところ


手を付けるときは大体
焦って始めてしまうんです


直したい
変わりたい
強く思いすぎてもまた焦って
泥沼にはまるので


落ち着いて
目の前のことに集中しよう
時どき全体図を見返しながら
そう思いました




ではまた。

登山道の石ころ考 その1


先日、趣味の低山登山にいったとき、林道の地面に転がる石ころについて妙に気になったことを書きます。


歩いたコースは和歌山県高野山エリアの町石道、①九度山~上古沢、②上古沢~根本大塔の部分。
低山ハイクを趣味としてはじめてまだ歴は浅いのですが、ほかの近畿の山よりも平坦な林道の部分が長く感じました。
よく手入れされた登山道、平坦で、藪道でもなく、大きな蜂にも困らされず、という具合で、ほかの山を歩くときよりも周囲を観察する余裕があるのですかね。全長10~15キロあるコースを進む中で、地面に落ちている石ころの形や模様、色なんかが微妙に変わってくるんです。
他にも、石に見えるけれど、落ちている場所からしてもともと木の一部だったのかな?と思わせる石ころがあったり、またその木片のような石ころでも日光に照らされるとキラキラ光る粒が表面に見えていたり。木なのになんで光るのかな~?と。
このように、5~6時間の登山道中で細かな謎がいくつか湧いてきたんです。





…岩石に関しほぼなんの知識もない個人の感想なので、文章はほどほどにして写真でご説明しますね。

九度山~上古沢
九度山~上古沢 2
九度山~上古沢 3

3枚目の写真はいったん持ち帰り水できれいにすすいで撮ったもの。
3枚目左下のはおそらく石英だろう。登山道の前半、特に六本杉~上古沢でよく見かけたのはこの石英と、あとの5つ(種類がわからない)のような「青っぽい、もしくは緑や茶色がかった、縞模様のある石」。

②上古沢~根本大塔 1

特に2枚目の、薄い木片ぽい石ころは、こんな感じで木の根が斜面に露出しているような場所周辺でよく見かけました。





次の3枚はある同じ見た目の石ころを撮ったものです。
iphoneのカメラだと目で見る色とはまた若干違って見えるのですが、
「サツマイモの皮のような赤紫色で、所々白い線が入っている」という特徴があるなあと。
これは町石道でも後半の部分、チェックポイントでいうと矢立峠~鏡石のあたりでよく見かけました。
逆に九度山~上古沢の林道ではほとんど見かけなかったような。
確信はないですが、青っぽい、日に当たると白っぽくキラキラ光るものが前半は多かったな~という印象をもっていたので。

②上古沢~根本大塔 2
②上古沢~根本大塔 3
②上古沢~根本大塔 4




余談ですが、ほどよく日光が差し込む林道の石ころって白くキラキラ光って見えるんですよ、ほんとに。
前のほうで挙げた石英の混じった石とか、青っぽい石の表面の粒がキラキラ光って、足元を注意してみていなくても目に入ってくるんです。
おとぎ話のヘンゼルとグレーテルのお話で、森の中、帰り道の目印に白い石を置いていって、実際月の光があたって光る石を頼りに帰ることができた、という場面がありましたが、
子供のときのわたしは、いやまさかそんなわけないでしょ~と思っていましたが、本当に可能なことなのかもしれないですね。




ちなみに石ころについて知識も何もない私はついアプリでそういうのないかな~と探してしまい、
RockIdentifier というアプリで写真をもとに調べてもらったところ…

Rock Identifierでの調査結果

こんな判定が出ました。
うーん、知識がないから石の成分の名前を言われてもピンとこない。
ググって調べてみたところ、『ジャスパー』と『ケイガボク』というのはおそらく違う(誤判定)と思います。
だってどちらも宝石みたいなきれいな石の画像が出てくるんですよ、これは違うなあと。
あとケイガボクはもともと木だったのが炭化せず石になった?というもので、
ただし見た目は木のような感じを残しながら重さは石のそれらしいです。
わたしが手に取ったのはごく軽いものだったので、重さの点からしても違うのではと。



アプリも一つ資料にはなりますが、面倒くさがらずにちゃんと調べようということでしょうか。

その2に続きます(たぶん)